日本航空123便墜落事故 ~真相 機長 ボイスレコーダー 生存者 遺書 陰謀論~

http://d.hatena.ne.jp/timo-ko/20090611/1244749873

1985年8月12日18時56分30秒に524名を乗せた「東京(羽田)発大阪(伊丹)行」が、
群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落し
520名もの死者を出しました。

この墜落事故は単独機の航空事故としては
最も死者を出した史上最悪な航空機事故としても有名です。

事故機


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E…

123便に使用された機材はボーイング747SR型機(機体番号JA8119)というもので
1974年(昭和49年)1月に製造されたものです。

500名以上の乗客を一気に運ぶことができるジャンボ機で、
当時としては非常に高価な乗り物でした。

飛行プラン


http://www.wikiwand.com/ja/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%8…

飛行プランは18時00分に伊丹空港に向けて羽田空港を出発し、
離陸後は南西に進んだ後、伊豆大島から西に巡航、
和歌山県東牟婁郡串本町上空で北西に旋回、
伊丹空港には18時56分に到着する予定でした。

出発から異変発生まで


https://mamorenihon.wordpress.com/2015/08/12/1985%…

出発予定より12分遅れ(18時12分)で羽田空港を出発し、
何事もなく順調に上昇していきました。

しかし離陸12分後(18時24分)、
相模湾上空を巡航高度の24,000ft (7,200m) へ向け上昇中、
23,900ftを通過したところで緊急事態が発生します。

スポンサーリンク


運航乗務員


http://egiing.com/archives/1036764920.html

機長:高濱雅己(たかはま まさみ、49歳・
運航部門指導教官 総飛行時間12,423時間41分)


http://jal123.blog99.fc2.com/blog-category-24.html
副操縦士:佐々木祐(ささき ゆたか、39歳・
機長昇格訓練生 DC-8では機長として乗務 総飛行時間3,963時間34分)


http://jal123.blog99.fc2.com/blog-category-24.html

航空機関士:福田博(ふくだ ひろし、46歳・
エンジニア部門教官 総飛行時間9,831時間03分)


http://jal123.blog99.fc2.com/blog-category-24.html

客室乗務員 チーフパーサー:波多野純(はたの じゅん、39歳 総飛行時間10,225時間)


http://blog.goo.ne.jp/7makemono-8n8n/e/2237b6058cf…

そのほか女性乗務員11人

計15名

緊急事態発生


http://rps1979y.blog.fc2.com/blog-entry-93.html

巡航高度に向けて上昇中に、突然の衝撃音とともに
垂直尾翼は垂直安定板の60%を破壊され、補助動力装置も喪失、
その際にハイドロプレッシャー(油圧操縦)システムの4系統全てを破損してしまい、
操縦システムに必要な作動油が全て流れ出して、
油圧を使用したエレベーター(昇降舵)やエルロン(補助翼)の操舵が
使用不可能になってしまいました。

スポンサーリンク


飛行状態


https://mamorenihon.wordpress.com/2015/08/12/1985%…

垂直尾翼の60%と油圧を失ってしまい、
真っすぐ飛ぶことができず、
機体は機首が上下するフゴイド運動や
横揺れと横すべりを繰り返しながら左右に蛇行するダッチロール状態となり
ほとんど操縦ができない状態となっていました。

機内の様子と疑問


http://minkara.carview.co.jp/userid/712132/blog/35…

衝撃音と共に酸素マスクが落下し、
急減圧に備えて、プリレコーデッド・アナウンスが流れました。

乗客は客室乗務員の指示に従って酸素マスクを着用し、
シートベルトの着用や一部座席では着水に備え、救命胴衣の着用、
タバコを消すなど非常時の対応を行いました。

疑問 急減圧はなかった?


http://minkara.carview.co.jp/userid/712132/blog/35…

衝撃音と共に酸素マスクが落下したことは事実ですが、
緊急事態後の様子を写した唯一の写真では
酸素マスクこそ落下していますが、
殆どの人がマスクを着けずに落ち着いた様子で座席に座っていました。

また、生存者の証言によると意識を失った人もいなかったとのことですので、
この様子だと垂直尾翼が破損した衝撃で
酸素マスクが落下しただけともとれます。

もし急減圧が起きていたなら多くの人が酸素マスクを着用しているか、
気を失っている状態だと思いますので、
唯一の写真や生存者の証言などからすると
減圧はあっても急減圧は起きていなかったとも言えます。

コックピット内

18時24分に起きた衝撃音の直後に高濱機長は「まずい何か爆発したぞ」と言い、
すぐさま緊急救難信号「スコーク77 (7700)」の無線信号を発信し、
信号は所沢の東京航空交通管制部に受信され、
直後に高濱機長が無線で管制部に対して「緊急事態発生のため羽田へ戻りたい」と告げました。

その後、操縦不能となった機体をコントロールするために
クルーと管制とのやり取りが慌ただしく行われていました。

最後まで事故原因は分からず・・・

操縦不能に陥った機体をコントロールするために
高濱機長と佐々木副操縦士は必死に制御を試みていましたが
機体は言うことを聞かず、また原因もわかりませんでした。

そんな中、客室乗務員から航空機関士に最後部の収納スペースのドア(R5のドア)が壊れているとの連絡があり、
その旨を機長や管制官に伝えましたが、墜落後、このドアは損傷しておらず
運航乗務員らは最後まで原因が分からないまま墜落を迎えました。

何となくですが、この部分のボイスレコーダーを聞くと
高濱機長と佐々木副操縦士は原因はそこではないと分かっていたような気がします。

航空機関士からの報告に反応せず、無視をしているかのように聞こえました。

スポンサーリンク


地上との交信 概要


http://www.diskdig.com/asl/2/musika_2.htm

地上との交信
18時24分42秒:JAL123便が緊急救難信号「スコーク77 (7700)」の無線信号を発信、
信号は所沢の東京航空交通管制部(以下 東京ACC) に受信された。
直後に高濱機長が無線で管制部に対して
「緊急事態発生のため羽田へ戻りたい」と告げ、管制部はそれを了承した。

JAL123便は伊豆大島へのレーダー誘導を要求した。

管制部は、右左どちらへの旋回をするか尋ねると、機長は右旋回を希望した。

羽田は緊急着陸を迎え入れる準備に入った。
27分2秒:東京ACCが123便に緊急事態を宣言するか確認し、
123便から宣言が出された。

続いて123便に対してどのような緊急事態かを尋ねたが、応答はなかった。

このため、ACCはJAL本社に123便が緊急信号を発信していることを知らせる。
28分30秒:東京ACCは123便に真東に向かうよう指示するが、
機長は「But Now Uncontroll(操縦不能)」と返答。

東京ACCは、この時初めて123便が操縦不能に陥っていることを知る。

31分14秒:東京ACCは羽田より近く旋回の必要も最低限で済む小牧市の
名古屋空港に緊急着陸を提案するが、123便は羽田への飛行を希望する。

通常は航空機と地上との無線の交信は英語で行われているが、
管制部は123便のパイロットの負担を考え、日本語の使用を許可し、
以後の交信では123便は一部日本語が用いられている。

33分頃:JALはカンパニーラジオ(社内無線)で123便に交信を求める。

35分33秒:123便から R-5 のドアが破損したとの連絡があった後、
その時点で緊急降下しているので後ほど呼び出すまで
無線をモニターするよう求められ、JALは了承した。

40分44秒:東京ACCが、123便と他機との交信を分けるため、
123便専用の無線周波数を準備し、
123便にその周波数に変えるよう求めたが、応答はなかった。

41分54秒:逆に123便を除く全機に対してその周波数に変更するよう求め、
交信は指示があるまで避けるように求めたが、
一部の航空機は通常周波数で交信を続けたため、
管制部は交信をする機に個別で指示し続けた。

45分36秒:無線のやり取りを傍受していた在日米軍横田基地 (RAPCON) が
123便の支援に乗り出し、123便にアメリカ軍が用意した周波数に変更するよう求めたが、
123便からは「Japan Air 123、Uncontrollable!(JAL123便、操縦不能!)」との声が返ってきた。

ACCが「東京アプローチ(羽田空港の入域管制無線)と交信するか」と123便に提案するが、
123便は「このままでお願いします」と返答した。

47分10秒:123便は千葉の木更津へレーダー誘導するよう求め、
東京ACCは真東へ進むよう指示し、「操縦可能か」と質問すると、
123便から「アンコントローラブル(操縦不能)」と返答がきた。

その後、ACCは東京アプローチの無線周波数へ変更するよう求め、123便は了承した。

48分54秒:無言で123便から機長の荒い呼吸音が記録されている。

49分:JALがカンパニーラジオ(社内専用無線)で3分間呼び出しを行ったが、応答はなかった。

53分30秒:東京ACCが123便を呼び出した。

123便から「アンコントロール(操縦不能)」と無線が入ってくる。

ACCと横田の RAPCON が返答、RAPCON は、
横田基地が緊急着陸の受け入れ準備に入っていると返答。

東京ACCも東京アプローチの無線周波数へ変更するよう求め、123便が了承する。

54分25秒:JALも呼び出しを行ったが応答はなかった。

123便から現在地を尋ねられ、東京ACCが羽田から55マイル (100km) 北西で、
熊谷から25マイル (45km) 西と告げる。

55分5秒:この時だけ「日本語にて申し上げます」と前置きして、
東京アプローチから「羽田と横田が緊急着陸準備を行っており、
いつでも最優先で着陸できる」と知らせ、
航空機関士が「はい了解しました」と返答する。

この言葉が123便からの最後の交信となった。

その直後に東京アプローチが123便に対し、
今後の意向を尋ねたが応答はなかった。

その後も56分前まで東京アプローチと横田の RAPCON が
123便に対して呼び出しを行ったが、応答はないままだった。

57分:横田の RAPCON が123便に対し、
「貴機は横田の北西35マイル (65km) 地点におり、
横田基地に最優先で着陸できる」と呼びかけ、
東京アプローチも123便に対して横田基地に周波数を変更するよう求めたが、
この時、すでに123便は墜落していた。

墜落

クルーの必死の努力も空しくJA8119機は降下し続け、
18時56分14秒に対地接近警報装置が作動。

同17秒頃にはわずかに機首を上げて上昇し始めたが、
同23秒に右主あ翼と機体後部が樹木と接触し、
衝撃で第4エンジンが脱落した。このとき、
機首を上げるためエンジン出力を上げたことと、
急降下したことで、速度は346kt (640km/h) に達していた。

接触後、水切りのように一旦上昇したものの、
機体は大きく機首を下げ右に70度傾いた。

同26秒には右主翼の先端が稜線に激突し、
衝撃で右主翼の先端と垂直・水平尾翼、第1・第2・第3エンジンが脱落、
さらに同28秒には機体後部が分離した。

機体は機首を下げながら前のめりに反転してゆき、
18時56分30秒に高天原山の斜面にほぼ裏返しの状態で衝突、墜落した。

18時56分28秒まで録音され続けていたボイスレコーダーには
23秒と26秒頃に衝撃音が残されていた。

23秒の衝撃音の直前には、PULL UP(上昇せよ)との警告音に混じって
機長の「あーダメだ…」もしくは「もうダメだ…」とも聞こえる
恐怖そして絶望を感じていると取れる叫び声も記録されていた。

ボイスレコーダーに録音されていた音声は、
後に活字で公表されたが、この叫び声は判読不能とされていた。

墜落時の衝撃によって、
機体前部から主翼付近の構造体は原形をとどめないほど破壊され、
離断した両主翼とともに炎上した。

一方、28秒に分離した客室後部と尾翼は、
山の稜線を超えて斜面を滑落していった。

客室後部は尾根への激突を免れて、斜面に平行に近い角度で着地し、
樹木をなぎ倒しながら尾根の斜面を滑落して時間をかけて減速した。

このため最大の衝撃が小さく、
それ以外の部位と比較して軽度の損傷にとどまり火災も発生しなかった。

これらの要因によって、客室後部の座席に座っていた
女性4名は奇跡的に生還できた。

だが、その他の者は即死もしくはそれに近い状況であった。

即死した者も多かったものの、
墜落直後の時点では客室後部付近を中心にかなりの数の乗客が生存しており、
翌朝に捜索隊が到着するまでの間に次々と息を引き取ったという生存者の証言がある。

スポンサーリンク


シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする