KANが癌を公表!メッケル憩室がんとは?「愛は勝つ」だけじゃない!有名ミュージシャンに影響を与えた!?保育園に“園歌”を提供が問題に疑問!

皆さんこんにちは!

今回は元気ソングで有名な愛は勝つKANさんについて、
色々と探っていきたいと思います。

KANさんは1987年に『テレビの中に』の
シングル・アルバム同時リリースでデビューを飾り、
1990年9月にリリースされた『愛は勝つ』が
バラエティー番組「やまだかつてないテレビ」で起用された事がキッカケで
一気に世の名が知れ渡りました。

その後は、精力的なアルバムのリリースに加え、
独自のライブパフォーマンスでファンを魅了し、
2002年にはフランス・パリに移住。

フランス語を学びながら
Ecole Normale du Musique de Paris」の
Classe du Piano 2e Division (non-professionelle) に中途入学し、
2004年7月に帰国しました。

帰国後はこれまでのバンド中心の
ライブスタイルだけでなく、
ピアノと歌だけの弾き語りツアー「弾き語りばったり」を展開。

また、近年では
通常のオリジナルアルバムに加えて、
KANさん自身による編曲で、
弦楽四重奏のセルフカバーアルバムを2枚リリースするなど、
精力的に活動されています。

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KANのプロフィール

芸名:KAN

本名:木村 和

生年月日:1962年9月24日

出身地:福岡県福岡市

身長:164㎝

体重:52㎏

血液型:AB型

趣味:旅行、料理、写真、語学

学歴:法政大学社会学部卒

ジャンル:J-POP

職業:シンガーソングライター、作曲家

担当楽器:ボーカル、ピアノ、ギター

活動期間:1987年-

事務所:ジェイピィールーム

KANがメッケル憩室がん公表

KANさんが3月1位日正午に自身のオフィシャルサイトで
洒落にならない御報告としてメッケル憩室がんであることを
公表されました。

メッケル憩室というのは小腸の中間部分にみられる袋状の突起物であり、
胎児のごく初期に卵黄管という管が一時的に発生しますが、
それが消えずに残るとメッケル憩室になるそうです。

解剖の結果だと2%に存在するとされているようですが、
症例が非常に少ないので、
なかなか治療方法が確立していないのが難点だそうです。

メディアに顔を出すことがあまりありませんが、
毎年のようにコンサートツアーを行い、
精力的に活動されているアーティストですが、
エンターテイメントをとことん追求した
特徴的なライブ内容から固定ファンも多く、
ZEPPを中心にツアーを行っています。

今回のガン発覚もツアー中だったようです。

4月に予定されていた弦楽四重奏と
KANさんのピアノと歌で構成されたツアーは中止となり、
既にメッケル憩室がん克服に向けて
治療を行っているとのことです。

音楽業界でも一目置かれた存在であり、
多くのアーティストがファンであることを
公表しているほどのソングライターなので、
完全復活の日を期待したいですよね。

KANは「愛は勝つ」だけじゃない!

KANさんと言えば「愛は勝つ」を歌った一発屋という
イメージを持たれている方が未だに多いようです。

200万枚を超える大ヒット曲であり、
日本レコード大賞受賞や
紅白歌合戦に出場するなど、
「愛は勝つ」が社会に与えた影響は非常に大きく、
広島東洋カープの投手だった津田恒美さんは
末期の脳腫瘍という病に侵されながらも
必死にリハビリをする際に、
いつも耳にし、口にしていたのが
紛れもなく「愛は勝つ」でした。

しかし残念なことに
余りに社会に与えた影響が大きすぎたために、
「愛は勝つ」という楽曲だけが独り歩きしてしまい、
他にも
・まゆみ
・インザネイムオブラブ
・言えずのI LOVE YOU

などヒットした作品はいくつかありましたが、
どうしても「愛は勝つのKAN」というイメージを
払拭することが出来ず、
他の作品が陰に隠れてしまっています。

実際「愛は勝つ」以降も、
2001年までは全国ホールツアーを行っていますし、
アルバムも一定数売れ、
2004年にフランス・パリから帰国した後も、
安定的に活動されています。

KANはミュージシャンに尊敬されている

残念なことに「愛は勝つの一発屋」というイメージが
世に浸透してしまっているKANさんですが、
実はミュージシャンにからの評価は非常に高く、
aiko
桜井和寿(ミスチル)
平井堅
秦基博

などと言った多数のミュージシャンに
音楽的に影響を与えています。

その要因は
歌詞・メロディー・コード進行・オーケストレーションなど、
どれをとってもクオリティーが高く、
職人技ともいえる作品は
上述したミュージシャン以外からも
高い評価を受けています。

しかし業界内での評価は高くても、
未だに「一発屋」のイメージが強く、
日本でもトップクラスの
音楽的才能がありながらも、
その才能とセールスとの差が
大きく感じられるのが
非常に残念なところです。

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KANが保育園に“園歌”を提供していたが父兄が困惑?

驚いたことにKANさんが
『社会福祉法人わかば健成会 保育園 おそらのぽっけ』という
保育園に楽曲を提供していたようです。

詳しく調べていくと、
どうやらこの保育園にKANさんの親戚の方が通っていたようで、
KANさんも送り迎えに何度も来られていたようですが、
丁度この頃に開園50周年を迎え、
記念になる歌を作ろうということになり、
そこでKANさんに相談したところ、
快く引き受けたようです。

週刊誌が報じた内容は以下の通りです↓↓↓

「KANさんが作った歌は、
詞が3番まである大作です。

詞自体も文芸的で作り込まれており、
楽譜も弾く側の技術が要求される
難易度の高い曲なんですよ」(同・保育園を利用する保護者)

「保育園の名称が変わったのに、
KANさんが作った歌詞には
昔の園名が使われていまして……。

1度、保育園側から歌詞変更の
相談をしたそうなんですが
断られたみたいです。

結局、今でも昔の園名で歌っているので、
経緯を知らない親御さんたちは
不思議がっていますね」(同・保育園を利用する保護者)

「たしかに園名が変わる際に
歌詞の“わかば”を“おそら”に変更できないかと
KANさんに相談しました。

そのとき、ご本人から“わかばという名称から
イメージして詞と曲を作ったので、
それを歌い継いでもらえればうれしい”と
おっしゃっていただきました。

わかば乳幼児園という名称も
半世紀近く続いて
地域に浸透していますし、
園児たちもこの園歌が好きなので、
このままがいちばんという形で落ち着いたんですよ」(園長)

KANNさんは親戚のお子さんが通われていた事もあって、
快く楽曲を提供されたんだと思いますが、
保育園の名前が変わったのにかかわらず、
歌詞の部分が変更されないままだったので、
父兄が困惑しているところ、
園長が歌詞の変更を求めたが、
“わかばという名称から
イメージして詞と曲を作ったので、
それを歌い継いでもらえればうれしい”と言われ、
変更せず歌い継がれているという事だそうです。

個人的な見解を述べさせてもらうと、
こんなことを問題視し、
あろうことか記事にする週刊誌の質に
疑問を抱かざる負えない。

KANさんは楽曲制作に対してのこだわりは人一倍強く、
1語1音丁寧に時間をかけて練られており、
そこから生まれた秀逸な楽曲は
音楽業界でも一目置かれる程です。

特に保育園を利用する保護者のインタビューに

詞自体も文芸的で作り込まれており、
楽譜も弾く側の技術が要求される
難易度の高い曲なんですよ」

と言うコメントがあったようですが、
KANさんらしくてファンの方は
微笑ましい気持ちになったのではないでしょうか?

まとめ

今回は元気ソングで有名な愛は勝つKANさんについて、
色々と探ってきましたが、
如何でしたでしょうか?

「愛は勝つの一発屋」と言うイメージが強いですが、
非常にクオリティーの高い作品が多く、
数多くのミュージシャンに影響を与えており、
音楽業界内では一目置かれた存在となっています。

そんな中、
今回の保育園問題は
非常に残念であり、
こんなことを記事にするのかと、
憤慨したい気持ちがありますが、
逆に今回の一件で
「KANさんを知ってもらうきっかけになれば…」
という逆の発想で気持ちを落ち着かせました。

KANさんの楽曲は全てにおいて秀逸であり、
どのアルバムを手にとっても
十分満足できる内容なので、
気になった方は是非聴いてみて下さい!

そして曲を覚えたら、
是非ライブに足を運んでみて下さい。

きっとKANさんの魅力に取りつかれますよ!

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