阪神 西岡が復帰!アキレス腱断裂で引退も覚悟!?

阪神 西岡 復帰


http://tigers-web.com/624.html

7月17日に甲子園球場で行われた「阪神vs広島」で

電光掲示板に嬉しいくも懐かしい名前が表示されました。

それは『1番ファースト・西岡』

結果は以下の通りです。

1打席目 ファーストゴロ(セーフティーバント)

2打席目 見逃し三振

3打席目 センター前ヒット

4打席目 デッドボール

5打席目 フォアボール

計5打席3打数1安打

1年前の悲劇


https://ameblo.jp/shoichi0317/entry-12183374519.ht…

昨年、7月20日の巨人戦で『1番セカンド』で出場し、

迎えた2回裏2死3塁から同点となるレフト線への安打を放ち二塁打コースと思いきや

1塁ベースを回る直前に転倒し、

蹲り起き上がることができずに途中交代となり、

その光景を見た多くの人が、ただ事ではないという事が分かりました。

その後、尼崎市内の病院で検査を受けた結果、「左アキレス腱断裂」と診断され、

長期離脱を余儀なくされました。

アキレス腱断裂とは

アキレス腱断裂という怪我は完治することは無く、

スポーツ選手にとって『引退勧告』のようなものです。

昔、広島東洋カープで活躍された前田智徳さんは

走攻守3拍子揃った素晴らしい選手で

メジャーリーグで活躍するイチロー選手も憧れるほどのプレーヤーでした。

しかし右足のアキレス腱を断裂したことによって

体のバランスを崩し、打撃をはじめ走塁や守備などプレー全般に精彩を欠いたことを嘆き

「俺の野球人生は終わった」「前田智徳という打者はもう死にました」というような

発言をされていました。

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どんな外傷か?

 アキレス腱は下腿三頭筋かたいさんとうきん(ふくらはぎの筋肉)の腱部分で踵骨しょうこつというかかとの骨に付着しており、足首を足底側に曲げるはたらきをします。

アキレス腱断裂は下腿三頭筋が強く収縮することによって発生することがほとんどですが、直達ちょくたつ外力(直接加わった外部からの力)や過伸展(伸ばしすぎ)による断裂もあります。

症状の現れ方

 20代のスポーツ選手や40歳以上の人が急にスポーツをした場合に、とくに踏み込み動作やジャンプの着地などで発生することが多く、断裂時に「バチッ」という音がすることもあります。断裂していても、歩行や足首を底屈する(足底側に曲げる)ことは可能ですが、つま先立ちをすることはできません。

検査と診断

皮膚の上から断裂した部分に腱の陥凹が見られたり、触れることができます。うつ伏せに寝たまま膝ひざを直角に曲げた状態でふくらはぎをわしづかみにすると健常であれば足首が底屈しますが、アキレス腱断裂があるとまったく底屈しません(トンプソンテスト)。画像診断は必ずしも必要ではありませんが、超音波やMRI、X線軟線撮影などが行われます。

治療方法

保存療法と手術療法があります。保存療法ではギプス固定を行ったあと、装具を使います。手術療法では腱縫合を行ったあと、ギプス固定を行います。そのあとに装具を使う方法とそうでない方法があります。

再断裂率は手術1.7~2.8%、保存10.7~20.8%と、手術療法のほうが再断裂の危険が少なく、早期復帰が可能だとする意見が多く、スポーツ選手は多くの場合手術療法を選択します。

しかし、感染や皮膚の縫合不全などの合併症が皆無でないため、最近では保存療法にさまざまな工夫を取り入れ、早期復帰を可能にして、スポーツ選手にも適応を広げている施設もあります。

応急処置や予防対策

応急処置として、皮下血腫ひかけっしゅを軽減させるためアイシングや足首の外固定がいこていを行います。必ずしも受傷当日に受診する必要はありませんが、なるべく早く整形外科を受診しましょう。予防法としては、スポーツ前にストレッチング、ウォーミングアップを十分に行うことです。

復帰


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170717-018574…

7月17日の広島戦に『1番ファースト』で復帰した西岡選手は

12年前に盗塁王を獲った時のようなスリムな体型に戻り、

1打席目にセーフティーバントを見せるなど

全盛期を彷彿とさせるような動きを見せました。

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西岡選手の手記

実は西岡選手、アキレス腱を断裂した後、

引退を覚悟したようです。

しかし引退を思いとどめるような数々の出来事があったようです。

以下スポーツニッポンの記事を引用させて頂きます。

あの日から1年…。実は野球を辞めることを決めていました。16年7月20日の巨人戦。あの時、一塁へ向かって走っている途中、異変を感じた瞬間に不思議とアキレス腱が切れたと分かりました。グラウンドに倒れ込んだ時、僕はこういう終わり方で、もうここに戻ってくることはないと思いました。

それまでもケガばっかりで精神的にもキツかったんです。以前から“いつ辞めようかな”“どうやって最後は辞めようかな”と考えていたんです。一塁で担架を待っていた数分の間にプロ野球の世界に入ってからのことが自然とフラッシュバックしたんです。

病院に運ばれた時には何故か、すがすがしい気持ちになったことを思い出します。苦しいとか悔しいという感情よりも正直、ホッとした気持ちでした。落ち込むというよりも、“明日からはしんどい思いをしなくていい”というような気持ちでした。

いま思えば逃げていました。自分の弱さとか、未熟さというものを痛感します。球団は翌日には手術ができる準備と用意を整えてくれていましたが、野球を辞めると決めていたので球団の方に手術はお断りしました。ただ、アキレス腱が切れてから1週間以内に手術をしなければいけないという現実がありました。その設定されたタイムリミットの中で少しずつ気持ちに変化が出てきました。

一度は辞めると決めながらも、続けるという気持ちに変わっていったのはファンの方の言葉であったり、家族や身近の人たちの“復帰はできなくても悔いのない野球人生にしてほしい。そういう野球人生の最後を迎えてほしい。だから復帰までの過程だけでもやってみたらどうだ”という言葉があったからです。手術日は7月26日。ケガをした20日からの数日間で「続ける」と本当の決断をしました。

入院先は大阪府内の大きな病院。手術後は車いす生活でした。アキレス腱を切っただけなので体は元気でした。時間もあるので車いすで病院の中を回っていて、病院の中では「西岡だ」と気づかれることもありました。

左足は動かなくても少しずつ気持ちが“歩もう”と動き始めた頃でした。小学6年生ぐらいの子供から「サインを下さい」と声をかけられました。それをきっかけに会話するようになったんです。「小児病棟に入院している」と聞き、実際に病棟に行きました。

すると、入院している子供たちの多くが重い病気と戦っていて…。歩くこともできない子供もいました。それなのに僕よりも前向きで、将来の夢を持っていて、そして明るく接してくれました。そのときに改めて感じました。アキレス腱は手術すればつながる、復活したプロ野球選手はいると。

その子供たちに出会ったからこそです。僕には十分な可能性が残されているのに諦めていいのだろうか…と気づかせてくれました。

やると自分自身に誓ってからは、今まで以上に野球への思いが強くなりました。ケガをする度に“なんで俺だけ不運が続くんだ”と思っていました。ただ今の僕は違います。ケガを防ぐための努力はしていたのか…と。捉え方が変わりました。

復帰へのモチベーションも高い位置に置きました。過去にアキレス腱を切った方は、みんなスピードの部分を捨てたと思います。でも、僕は上を目指そう、守備でも二塁から遊撃へ戻ろう…と。再び走れる選手になろう…と。過去に誰もやっていないことというか。その先が見えない目標だけに向かって長いリハビリを続けてきました。

この日を迎えるまでには1年間も時間をかけさせて頂きました。球団やファンの方が待っててくれたことが、すごくありがたかったです。これまでは中途半端なところで気持ちがつながっていました。“辞めたいけど、辞められない”と思って続けていました。ただ、今回はアキレス腱と一緒に心まで一度は完全に切れました。だからこそメンタルの部分でも“大手術”ができました。この1年間で心もしっかりつなげることができました。

本当に多くの方々のおかげで今があります。感謝の言葉以外、見つかりません。今だから言えることですが、しっかりとトレーニングをして、しっかり向き合えばアキレス腱が切れたぐらいで選手生命は絶たれないと思えるようになりました。もしもアキレス腱が切れずにプレーを続けていたら、そちらの方が選手寿命は短かったと思います。切れたおかげで選手寿命が延びたと思います。

だからこそ、やれるところまでやります。とことんやってやろうと!今後ちょっとしたケガをしても辞めようとはならないでしょう。もし次に骨折したとしても、万が一、右のアキレス腱が切れてもトライします。もう一度、西岡剛を見ていてください。

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