阪神 安藤優也が引退 嫁や子供・新垣結衣との関係や成績・年俸など


http://www.sankei.com/sports/photos/170915/spo1709…

9月15日に阪神タイガースの安藤優也投手が
今シーズンをもって引退する事を球団が発表しました。

安藤投手は2002年から阪神タイガースでプレーし、
16年目となる今シーズンの登板は今のところ無く
残念ながら引退という形になりました。

安藤優也 成績と経歴


https://www.jiji.com/jc/d4?p=tig203-jpp01394435&d=…

安藤投手は2001年に自由獲得枠で阪神タイガースに入団し
入団2年目となる2003年には
中継ぎとして51試合登板し5勝2敗5セーブ防御率1.62という成績を残し
阪神18年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献しました。

入団4年目となる2005年には先発に転向して
24試合に登板し11勝5敗防御率3.39という好成績を残し
2年ぶりのリーグ優勝に貢献。


http://hanshintigers.jp/news/topics/info_3936.html

その後も先発中継ぎセットアッパーなどで活躍し
2013年から2016年までは中継ぎとして50試合以上登板し
防御率も2点台から3点台前後と好成績を常に残していました。

先発として3度の二桁勝利あげ、
中継ぎとして安定した成績を残し
チーム状況によりセットアッパーや抑えでも活躍しました。

通算77勝66敗11セーブ、92HP

安藤優也 新垣結衣


http://search-navi.blog.so-net.ne.jp/2015-06-08

安藤投手を調べていたら何故か女優の新垣結衣さんの名前が挙がっていましたので
いろいろ調べてみました。

どうやら2011年に週刊誌によると
シティーホテルから安藤投手と新垣結衣さんが
二人で出てきたところを
フライデーの記者に写真を撮られたとのことでした

また安藤投手はさんは既婚者なので
新垣結衣さんとは不倫関係にあると思われていましたが
どうやらこれはガセネタだったようです。

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安藤優也 嫁や子供は?


http://www.ad-vank.com/2017/01/06/post-7534/

安藤投手は大学時代に交際していた女性と結婚していますが
一般人とのことですので
名前などは公表されていませんでした。

大学時代の安藤投手は怪我でほとんど活躍することができず、
大学卒業後は地元の大分銀行に就職して軟式野球に転向する予定でしたが
のちに結婚するこの女性に
内定を辞退して社会人野球のトヨタ自動車に
入社するよう勧められたようです。

因みに内定を辞退した大分銀行には
プロ入りの際の契約金を全額預金することで“恩返し”をしたようです。

2003年に子供が生まれていますが
名前や写真などは公表されていませんでした。

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安藤優也 引退会見内容


https://www.daily.co.jp/tigers/2017/09/15/00105569…

「本日はお忙しい中、お集まりいただきまして、
誠にありがとうございます。
今季をもちまして私、安藤優也は現役を引退することを報告致します。
16年間、ありがとうございました」

-16年間の現役生活、お疲れ様でした

「ありがとうございます」

-引退を決意した、今の気持ちは。

「一番はホッとしています。肩の荷が下りたというか、体の心配をしなくていいんだなって。一番はホッとした気持ちです」

-引退を決意した一番の理由は。

「何点かあるんですけど、一番はやっぱり体力的な衰えが…今年は結構あったかなってところで。毎年、年(年齢)を重ねるごとに衰えは感じていたんですけど、今年は特に思うような動きができなかったり、思うようなボールが投げられなかったり…そういうのが結構ありましたし。年齢的なものもありましたし、限界に近づいてきたかなってことを…。今シーズンは一度も、1軍で投げることができていませんでしたので、戦力になれていないっていう現実を…。若いピッチャーが成長しているのを感じながら、総合的に判断して引退を決断しました」

-いつ頃から引退を考え始めたのか。

「8月に入ってからは頭の片隅にはあった。
9月に入ってから考えるようになって、
(今月)12日に正式に決断をしまして、
球団の方に引退しますと伝えました」

-球団に報告し、何という言葉をかけられたか。

「ねぎらいの言葉をもらいました」

-金本監督やチームメートに報告は。

「決断した12日の夜に、監督に電話させていただいて、
そのあとにチームメートに順番に報告しました」

-金本監督にはどのような言葉をかけられたのか。

「監督からもねぎらいの言葉をいただきまして。
でも冗談っぽく『もう限界やな』って言われました(笑)」

-その時、何て答えたのか。

「冗談っぽく、『限界ですね』って伝えました(笑)」

-引退を決断するにあたって、誰かに相談はしたのか。

「基本的には自分でじっくり、ゆっくり考えたんですが、
家族、両親には一番最初に相談して。
いろいろな感情もありましたけど、家族と両親に相談したって感じです」

-ご家族はどのような反応だったか。

「覚悟はしていた…。年齢的なものもあるので、
ある程度のことは覚悟してくれていたみたいですけど、
お疲れ様でしたっていうねぎらいの言葉をもらいました」

-お子さんの反応は。

「あまり野球に興味がない子なので、
反応は薄かったですけど、逆にそれが返ってよかったと思います」

-奥様からは、どのような言葉をかけてもらったのか。

「『本当にお疲れ様でした』と。
『長い間、よく頑張ってくれました』っていう言葉を言ってもらいました」


https://www.nikkei.com/news/image-article/?R_FLG=0…

-引退を決断するにあたって、迷いはなかったのか。

「8月から徐々に考えて、
9月に入ってゆっくり考えて決断しましたので。
その時はすごく迷いましたけど、
現役でやれるっていう自信はどこかにはありましたけど、
先ほども申し上げましたけど、総合的に判断して、
ここが僕の引き際じゃないかと思いまして。今はすっきりしています」

-16年間で一番思い出に残っている、印象深い出来事は。

「本当にいろいろあるんですけど、いい思い出もありますし、
悔しい思い出もありますけど…。強いて言うなら、
今年1年ファームで過ごした1年間っていうのは、
僕にとってすごく貴重な1年間だったと思いますし。
若手と一緒に練習してきて、自分の野球に対する考え方だったりとか、
改めて感じたというか、考えさせられた1年間だったので。
戦力にはなれませんでしたけど、
今年ファームで過ごした1年間っていうのは、
僕にとっては思い出深い1年間になりました」

-去年までは1軍で数多く投げていた、その中で思い出に残っている年、ゲームは。

「いっぱいありますが、振り返ってみると、
2003年…18年ぶりにタイガースが優勝して、
その輪の中にいれたっていうのもありますし、
2004年も先発として優勝の輪に入れたってこともありますし。
2004年はアテネオリンピックにも出させてもらうっていうのも思い出ですし、
2008年から3年連続で開幕投手をやらせてもらったっていうのも思い出ですし、
本当にきりがないので。いい思い出もあったけど…
その中でもいろいろ苦しいこともありましたけど、
なんとか…乗り越えてやってきた。本当にいろいろなことがあった16年間でした」

-入団当初、16年間プレーすることはイメージできていた?

「もともと体が強い方ではなかったので、
この年まで…40くらいの年まで、
現役でプレーできるとは思っていなかったけど。
本当に周りの皆さんに支えられて…本当に感謝したいです」

-改めて16年間を振り返ってください。

「もちろんいろいろ悔いはありますけど、
100%の気持ちで引退することは、まずないですから。
自分の中では、ほぼ悔いのない現役生活だった」

-優勝を経験していない後輩たちに伝えたいことは。

「優勝してからしか味わえないってことが、感動とか…。
優勝して、2回優勝させてもらいましたけど、
2回の優勝の経験があったから、
ここまでこれたっていうのもありますんで。
後輩たちには優勝してもらって、優勝という味を味わってもらって、
これから強いタイガースを築いていってもらいたいなって思いもありますし。
セ・リーグ優勝は2回経験させてもらいましたけど、
日本一の目標は成し遂げられなかったので、
後輩たちにはぜひ日本一になってもらいたいなって思います」

-引退後、やってみたいことは?

「12日に引退を正式に決断致しましたので、
やってみたいことはまだ考えていないですけど、
これからゆっくり時間はありますので、
相談しながらゆっくり考えていきたいと思います」

-ファンにメッセージをお願いします。

「本当に16年間、たくさんのご声援ありがとうございました。
時には叱咤激励、厳しい言葉もいただきましたけども、
後輩たちにはなるべく厳しい言葉は我慢してもらって、
温かい言葉をかけてあげてください。
本当に16年間の長い間、ありがとうございました」

-甲子園のマウンドから見るライトスタンドはどういう光景だった?

「甲子園は他の球場と違う雰囲気があって、
ファンが力をくれる球場だと思って。
特に甲子園で投げる日はライトスタンドから力をもらいましたね」

-今、自分自身に何て言葉をかけたい?

「よくやった…ですかね」

-先ほどの涙には、どんな思いがこめられているのか。

「何の涙かはわからないですけど。
ホッとした涙なのか、悔しい涙なのか、
まだまだやりたかったのか…
いろいろな感情があっての涙だと思う。一つでは表せないですね」

-大分、東京から関西へ。この甲子園という場所、関西という場所はどうだったか。

「関西には特に縁はなかったですけど、
小さい頃から甲子園に憧れて、
その甲子園でプロ初勝利も挙げられましたし、
甲子園が仕事場になったっていうのは、本当に夢のようでした。
本当に素晴らしい場所でした」


http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/09/15…

-どこかで、もう少しできたのかなという思いはあった?

「今年は1年投げていないので、
できたんじゃないかという思いはありましたけど。
先ほども言いましたけど、体力面とかを考えた時に、
今年は納得のいくボールが少なかったかなと思います。
来季も現役でやっていく姿が、想像できなかったというのはあります」

-甲子園の2軍戦で投げた時、ファンの声援がすごかった。
まだ1軍で、という思いになったのではないか。

「ああいう声援は僕たちの力になるので。
あれを聞いた時は、まだいけるんじゃないかと思いましたけど。
引退試合に思われているのかな、というのもありましたけどね(笑)。
でも、いろいろ考えて総合的に判断して決めたので、今はスッキリしてしますね」

-プロ生活16年、どのような武器がピッチングを支えていたか。

「大したボールがあるわけでもないし、
大した選手でもなかったんですけど。やっぱり、
僕の一番の武器はコントロールだと思っているので。
コントロールと度胸で16年間やってきたのかなという。
その2つさえあれば、僕のような投手でもここまでできるのかなというところですかね」

-中継ぎと先発、それぞれの思いは。

「ちょうど半分くらいですかね。リリーフと先発と。
8年、8年くらいだったと思うんですけど。
それぞれいいところがあり、しんどいところがあり。
どちらがいいというのはないんですけど、
どちらも経験させてもらって。
どちらでも優勝させてもらったので、
それはすごくいい経験にもなりましたし、
僕にとってはいい財産になったかなと思います」

-今年ファームで過ごした1年は、若手と過ごした1年だった。

「若手の投球練習を見てきて、僕もいろいろ勉強になったし。
『こういうボールを投げるんだ』とか『こういう投げ方をするんだ』とか、
本当に新しいものを発見できたし。貴重な1年間でした。
若手と過ごせたというのは、逆に若手に感謝したいなと思います」

-続けて。

「ボール自体はいいボールを投げる後輩はいっぱいいますので、
あとは経験でこれからどんどん成長していくと思うので。
1軍の試合を見ていても、若くて生きのいい選手がいっぱいいますので。
そういうのを見ると、もう僕の力は必要ないのかなと感じましたし。
そこが引き際なのかな、と思いました」

-思い出に残る試合、対戦は?

「本当にいっぱいあって、なかなか『これを』というのは難しいんですけど。
原点になっているのは2003年の日本シリーズ第1戦。
リリーフで登板して3イニングを投げたんですけど、
3イニング目にズレータ選手にサヨナラヒットを打たれて、
負け投手になって…。僕が矢野さんのリードに首を振って、
そのボールを打たれて。それが原点と言えば変ですけど、
僕の野球人生を変えた1球だったのかなと思います」

-悔しい、負けた時の思いが糧となる。

「いい思い出というよりは、
どちらかというと悪い思い出の方が記憶に残っていると思うので。
僕だけではないと思うんですけどね。
みんなそうなんじゃないかと思うんですけど。
そういう苦い思い出とか、
苦しい時の思い出をバネにしてやってきたタイプかなとは思いますね」

-肩のケガもあった。

「肩のケガをして、半年間くらい投げられなかったので。
その時は、今思うとかなりしんどかったなと思うし。
でも、なんとか這(は)い上がって復活できたので、
それは本当の自信になったし。
そういうことを後輩に伝えられたので。
逆に、苦しい思い出がいい思い出になったかなと思いますね」

-今の気持ちは。

「引退を決断したばっかりなので、
今はゆっくりしたいというのが本心ですし。
今後のことは、これからゆっくり考えていきたいなとは思いますけど」

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安藤優也 プロフィール

名前 安藤優也

出身地 大分県大分市

生年月日 1977年12月27日

身長 184 cm

体重 96 kg

選手情報

投球・打席 右投右打

ポジション 投手

プロ入り 2001年 自由獲得枠

初出場 2002年4月7日

年俸 8,800万円(2017年)

背番号 16 (2002年 – )

経歴 大分県立大分雄城台高等学校
法政大学
トヨタ自動車
阪神タイガース (2002 – )

国際大会 アテネオリンピック代表 2004年 (銅メダル)

安藤優也 表彰

月間MVP:1回 (2006年9月)
JA全農Go・Go賞:1回 (救援賞:2003年7月)

安藤優也 記録

投手記録初登板・初先発:2002年4月7日、対ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、6回1失点
初奪三振:同上、2回裏に岩村明憲から空振り三振
初勝利・初先発勝利:2002年4月14日対横浜ベイスターズ6回戦(阪神甲子園球場)、8回無失点
初セーブ:2003年5月3日、対ヤクルトスワローズ7回戦(阪神甲子園球場)、8回表2死に3番手で救援登板・完了、1回1/3を無失点
初完投勝利:2005年7月28日、対読売ジャイアンツ12回戦(東京ドーム)、9回1失点
初ホールド:2006年7月6日、対横浜ベイスターズ12回戦(阪神甲子園球場)、7回表に2番手で救援登板、1回無失点
初完封勝利:2006年9月3日、対横浜ベイスターズ20回戦(横浜スタジアム)
1000投球回:2014年5月13日、対広島東洋カープ7回戦(どらやきドラマチックパーク米子市民球場)、9回裏に廣瀬純を一邪飛に打ち取って達成 ※史上339人目
打撃記録初安打:2002年5月3日、対ヤクルトスワローズ7回戦(阪神甲子園球場)、5回裏に石川雅規から左前安打
初打点:2005年9月3日、対横浜ベイスターズ19回戦(札幌ドーム)、6回表に門倉健から投手前適時内野安打

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